あなたはひな祭りの由来・起源をご存じですか?

 

「ひな祭り」の歴史はとても古く平安時代のベストセラー

「源氏物語」でも当時の様子が描かれています。

 

ぜひ、この機会に「ひな祭り」の歴史に触れ

周りの方に「ひな祭りの昔話」をしてみてはいかがでしょうか^^

 

ひな祭りの由来や起源とは?

 

ひな祭りの由来・起源は2つあります。

 

 

「上巳(じょうし)の祓い」という貴族による厄払いの風習
 
「ひいな遊び」という貴族の子供たちの遊び
 

 

この2つがとても長い時間をかけ一つになり

やがて「ひな祭り」となっていきます。^^

 

上巳(じょうし)の祓い?昔の風習って?

 

では、「上巳(じょうし)の祓い」とは一体何なのでしょう?

まず、以下のようなエピソードがあります。

 

 

まだ中国が漢(カン)という国だったころ

徐肇(ジョチョウ)という男性がいました。

この男性は3人の女児をもうけたのですが

3人とも3日以内に亡くなってしまうという悲劇に見舞われました。

この悲劇により徐肇(ジョチョウ)はとても悲しみますが

その悲しみ嘆く姿を見た村の人たちが

3人の女児たちを酒で清め川に流し供養をしてあげました。

 

 

この出来ごとを元に、草や藁(わら)で作った人形で自分の体を撫で

「穢れ(けがれ)」を人形に移してから川に流し

厄払いをするという風習が中国ではじまったと言われています。

 

この風習をやがて「上巳(じょうし)の祓い」と呼ぶようになりました。

(補足:3月の最初の日を上巳と呼びます。)

平安時代に日本で「流しびな」として定着する

 

そして、平安時代。

この頃に「上巳(じょうし)の祓い」は日本で広まります。

 

それ以前にも日本に伝わっていましたが「お祭り」ではなく

天皇に降りかかる災いをお祓いする神事、儀式のようなものでした。

 

それが平安時代には陰陽師にお祓いをさせる宮中行事まで発展しました。

この時は紙で作った人形に災いを移して川に流していました。

そして、これを「流しびな」と呼ぶようになります。

 

補足:この「流しびな」は現在は下鴨神社で見られます。

上巳の節句の誕生

 

そして、室町時代。

地域により時期がまちまちだった神事でしたが

幕府により「3月3日が上巳の祓いの日」だと正式に決定されました。

 

さらに時は流れ江戸時代。

江戸幕府が「上巳(じょうし)の祓い」を

節句の一つにすると定め五節句の仲間入りをします。

 

五節句とは?
 

五節句とは、江戸幕府が定めた年に五回ある季節の節目。祝日。

1月7日・七草粥の節句や7月7日・笹の節句(七夕)

5月5日・端午の節句(子供の日)などがある。

この行事も中国から伝わったものである。

 

という訳で、ついに「上巳(じょうし)の節句」の誕生です。

桃の花が咲く時期でもあり桃の花は縁起が良いので

「桃の節句」とも呼ばれ始めます。

歴史と共に華美な女の子の節句へ

そして、元々は男女関係なく厄払いをしていましたが

端午の節句(5月5日)武家の跡取り息子、男の子の節句

と定着していくと共にそれに対になるような形で

 

上巳(じょうし)の節句はひな人形を飾ることなどから

女の子の節句として定着していきました。

そして、人形作りの技術向上もあり川に流すのではなく家に飾るようになります。

 

しばらくは、畳に直接じゅうたんを敷き飾っていましたが

江戸中期にはひな壇に飾られるようになりました。

 

また、武家子女など身分の高い女性の嫁入り家財へと

発展した事により華やかさや贅沢さを増していきました。

ひいな遊びとは

 

もう一つの起源です。

平安時代に貴族階級の女の子たちの間で流行った

紙で作った人形で遊ぶことを「ひいな遊び」と呼びました。

 

紙で男女対の人形を作りいわば「夫婦ごっこ」や

「家族ごっこ」をしていたのです。

 

現代で言うところのザ・おままごとですね。^^

 

そして、京の都からはじまった「ひいな遊び」は

1640年頃(江戸幕府)には庶民の間にも広まり

「上巳(じょうし)の祓い」の「流しびな」と一つになっていきます。

 

そして「ひいな遊び」は1716年以前には「ひな祭り」と

呼ばれるようになり家に飾られるようになりました。

 

(補足:「ひいな」とは「ひな」の古語で可愛いものを表す。)

ひな祭りに飾る人形の意味とは

 

ひな人形は宮中での結婚式を表しています。

天皇・皇后の結婚式の様子ですね。

 

大昔の日本の子供たちにとって宮中は憧れの的でした。

天皇・皇后は噛み砕いて言えば王子様とお姫様のような存在です。

 

そのため、天皇・皇后のように幸せな結婚ができますように

といった親の願いが込められてあのような形となりました。

 

ひな壇にはお内裏様とお雛様のほかに以下の順番に人形が飾られます。

 

▶ 三人官女=宮に仕えお世話をする女性たち。

▶ 五人囃子=結婚式を音楽で盛り上げる少年たち。

▶ 右大臣、左大臣=宮廷を警護するお役人。

▶ 仕丁=宮中の雑役を務める人たち。

 

さまざまな人たちに祝福される幸せな結婚式を表しています。

ひな祭りに甘酒を飲む理由とは?

 

結論から申しますと「甘酒」に深い意味や理由はありません。^^;

本来、ひな祭りに飲むお酒で正当なものは「白酒」です。

 

もともと、「上巳(じょうし)の祓い」が中国から伝わってきたとき

一緒に伝わってきたお酒は桃花酒というお酒に桃の花びらを漬けたもの。

 

 

桃は「邪気払い」や「気力・体力をつける」パワーがあるとされていた為

中国ではこの「桃花酒(とうかしゅ)」を飲んでいました。

 

平安時代に宮中で上巳の祓いが広まった時期に

貴族が口にしていたのも「桃花酒」です。

 

ですが、江戸時代から「白酒」の方が縁起が良いと好まれるように。

その理由として以下のような言い伝えがあります。

昔、お腹に大蛇を宿してしまった女性が3月3日に
白酒を飲んだところ、大蛇を流産させる事ができた。

 

このような伝説(?)から「お腹に悪い子が宿らないように」

という邪気払いの意味も込めて白酒を飲むように変わりました。

 

このように、健康や厄払いの意味をこめて

白酒を飲むようになりましたが白酒のアルコール度数は10度と高め。

ヘベレケになってしまいますね。^^:

 

そのため、子供でも飲めるようにと

ノンアルコールの甘酒が用意され浸透していきました。

まとめ

ひな祭りの由来・起源はやはり無病息災が何より大切だった

大昔の人々の願いや風習・儀式によるものだったのです。

 

それが、時代と共に国の定めた行事へ発展し

女性の嫁入り家財にまでなりました。

 

また、王子様やお姫様にあこがれを抱く当時の女の子や人形でおままごとをしていた子供たち。子供は今も昔も純粋で変わりませんね。

 

甘酒についてはちょっぴり意外でしたが子供のお祭りになったのでそれに合わせて変化したのでしょう。

 

だが!独身の私は!白酒でヘベレケするしかないでしょう。^^;以上、雛祭りの由来・起源についてでした!